母衣引(ほろひき)について
母衣については、平安時代から室町時代にかけての記録に、母衣、保侶、母廬等の語が見られ、その形状や使用方法は必ずしも明確ではないものの、戦場で矢を防ぐための武具あるいは戦袍(マント)として用いられたものであろうといわれています。
やがて、戦いのなくなった江戸時代(中期)に移ると、様式美を伝える馬術として母衣を引くことが行われ、諸大名の馬の催しの際に供覧されるようになりました。
現在、宮内庁主馬班が伝承している母衣引は、この時代のものです。
母衣引は、紋付き袴の和服姿で大和鞍にまたがった騎手二人が、徐々に馬の速度を上げながら、母衣を後方に展開していき、最終的には、母衣を地面と水平に長くたなびかせる馬術です。
騎手は馬の足並みを序、破、急の三段階に分け、順次その足並みを早めていくとともに、この変速に従って三つに畳んで騎手の胸元にまとめてある母衣を後方に順次伸ばし広げると、馬の足並みが急(急調子)となった頃に母衣は地面と水平に引かれ、馬と母衣により見事な上下平行線が描かれます。これらに用いられる馬の足並みは、側対歩といい、はじめ右前肢と右後肢を同時に出し、次に左前肢、左後肢を同時に出す変則的な歩き方であって、馬の速度が急調子になっても反動が少ないため水平に進むことができ、長く伸びた母衣を地面と平行して引くことが可能となります。
母衣引のために調教された馬を調子馬といい、生まれながらに側対歩ができるトロッター種が適しています。
母衣は絹製で、長さ約10メートルの吹貫きとなっており、緑と白に染め分けられたものは春を、赤と白に染め分けられたものは秋を象徴するものといわれています。